京大合格!うたまろ君! 第1話

4コマ漫画

《判断基準は「できるできない」ではなく「やりたいかどうか」しかない》

受験勉強をする際によく使われている「偏差値」というシステム。とても便利なものではありますが、この偏差値に頼り過ぎるのはいかがなものかと考えています。まず、この偏差値のシステムはいつごろから使われているのかを調べてみたところ、1960年頃に使われはじめ、1980年代頃から浸透し始めたようです。偏差値はひと言で言いますと「相対評価」をするためのものですが、受験というものは相手があるようでないものです。合格の基準点がはおおよそ決まっておりますので、それよりも得点率で10%程上を取れば良いだけなのです。対戦相手のことなど気にする必要はありませんし、得点率を上げることだけに集中するべきです。

ただ、何よりも大切なことは「その学校に行きたいのかどうか?」だけです。「どうしても行きたい!」と思えるからこそ努力できるのであって、「偏差値的に受かりそうだから」という理由で選んでいては、意欲が湧いてくるはずがありません。偏差値自体は便利なものですし、使うべきものですが、「偏差値に使われる」ことだけは避けなくてはなりません。「志望校」ではなく、偏差値によってはじき出された「可能校」に行くために勉強しているわけではないはずです。これは生き方にも関わることで、判断基準を「できるできない」に置いてしまうと、「できることしかできない」人間になります。もし、生まれてから「できることしかしない」としたらどうでしょう?歩くことも食べることも喋ることもできないということです。これは極端な話ですが、できそうにないことに立ち向かうからこそ人は成長するのであり、「できることしかしない」のなら成長を放棄することに他なりません。

私は「京都大学に行きたい」と思った高校3年生の8月時点で偏差値が40でした。担任の先生からは「この時期にこの偏差値で京都大学に合格した人は、学校の55年の歴史上、統計的にいない。頑張って近畿大学あたりを目指したらどうか?」と言われました。この時、私は「歴史上誰もいないということは、新たな歴史を作るチャンスだ!やった〜!」と思ったのです。まさに「やりたい気持ち」が強まったのです。「やりたい気持ち」は誰に左右されるものでもなく、自分次第です。自分の気持ちに素直になって「可能校」ではなく「志望校」を決めましょう!想いが強ければ強いほど、脇目も振らずに一心不乱に取り組むことができ、それが合格への最短距離だからです。子ども達を見ていると「人の目を気にしている」ことが非常に多いです。これでは勉強に身が入らなくて当然だと思います。

判断基準を「やりたいかどうか」に置き、挑戦して壁を乗り越え、成長を楽しめるようになると、人生の楽しみ方が大きく変わってきます。

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